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虚構作品の意味は、制作者の意図とは独立して決定される。

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コメント一覧

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  • 制作者が後になってから制作意図について語るときなどはそういう感想を抱く。

  • 「製作者の意図と全く異なった解釈が受け手によって提供される」という意味でなら。

  • ドキュメンタリーでも何でも、制作者の意図通りに伝わるとは限らない。受け手の中で変わることもあり得るし、ダイレクトに伝わる場合もある。それが作品というもの。

  • 書いたものとは別になったりもするのでその可能性は十分にありうる

  • そうあるべきかは別として実際そうなってる。

  • 別に虚構作品じゃなくても、作品として完成した瞬間から、それ(=作品)は製作者の手を離れて一人歩きするもの

  • 基本的にはそうでしょう

  • (略)とは独立して決定してもいいし、しなくてもいい。煎じ詰めると好みの問題のような気もしてきた。

  • 国語の問題、「これを書いた作者の目的を(ry」

  • そらそうでしょうな。

  • そんなもんじゃないん??だって評価する人間は作者じゃないんやし。

  • そりゃそうだ。

  • っていう、テストか模試かに出た文章を読んだことがある。それは虚構作品に限ったことじゃなかったけど

  • 偶然一致することもあるでしょう。しかし、虚構作品の意味が制作者の意図どおりのときもあるということとこの項目の主張は矛盾しないと思います。>ccceee|Googleで「テクスト主義とは」で検索し、関連文章を少し読んだ限りでは、おそらくそうです。>べし|虚構作品は、絵画、音楽、詩、彫刻、各種伝統工芸、文学小説、映画、アニメ、キャラクター小説、コンピューター・ゲーム、漫画、人形などです。>ツバサ|敬意によって何かを決定することに正当性があるなら、その意見も分かりますが。果たして……。>carrot|あと41票

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  • なんだ~適当に書いたのか~

  • テクスト主義好きだし大枠では支持するのだが、枠外の世界は消せない。

  • 虚構であるかどうかも独立して決定させて。

  • 擁護できません、援軍おながいします(w

  • 虚構性如何を問わずあらゆる芸術作品は鑑賞者の主観が介在して初めて完成するものだろうが「独立して」とまで言えるかとなると首を捻らざるを得ない

  • 基本はそうじゃなきゃ、やってられん。言葉なども表現は全部そうだろうし。でも意図によっては応援したり許せなかったりもするから、独立とまでは言えないかも。

  • なんだって?

  • 読み手の数、そして読む度にそのフィクションの価値は変化します。作者が過度に口出しするのは好みじゃないなあ。

  • あわわ、またそうきたか、テクストってヤツに対する敬意があれば、それは誤読です

  • 虚構作品に限らない。

  • 最終的にはその作品に触れた人の感じ方や判断によるのでズレてくることもあるでしょうが、制作者には制作段階で意図しているものがある(はずだ)から、こう言い切ることはできないのではないか。

  • 虚構作品をよく知らないのです //そうなんですか。でもまとめて一言で言われると分からない…>>post主さん

  • その場合もあり、制作者の意図どおりの時もあるのでは?

回答したユーザ
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