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中村橋之助 << prev
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本当に心の底から死者の冥福を祈ったことがある。

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コメント一覧

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  • 飼っていた愛犬を失ったとき。

  • 心の底からかは解らないけど、祈る時はいつもそう。最近では路上に横たわる子猫に。車も通らない道で外傷もなく綺麗だったから、暑さで倒れたのかも。

  • 親族が亡くなったとき

  • そういう気持ちになることもある。

  • 何で現世でまた殺されなあかんの。

  • 後輩が事故死したときと、祖母が心臓発作で亡くなったとき。

  • どんなに心残りだっただろう..と思いながら。

  • 上辺だけで祈ったことない

  • 死後はおそらく無だ。だからこそこういう気休めが必要。それに在りし日そこにあった意志まで無になるわけじゃないのだし。

  • 「冥福を祈るという共通の行動で、他者と悲しみを分かち合い、辛い気持ちを安定させることができる。」 ということで、これはあくまで残された人間のために行っていることであって、もともと死者のためにやっていることではないと考えられます。 人が死んでもまったくなにも感じなければ、祈る必要もないでしょう。

  • 路上に横たわるものに。

  • 帰ってきてほしいと、何度言っただろう。何度願っただろう。

  • 友人の死を経験したときには冥福を祈らずにはいられない。

  • 他に出来ることが少ない故に生まれた人類の叡智

  • 生前の感謝を示す行為だ。そして仮に「あの世」なんてものがあるとするのなら、そこでも健やかでいて欲しいと願う心の事だ。遠方へ長い旅に出かける親しい者への見送りの情に近い。あろうが無かろうが、見送る気持ちに真贋なぞ無い。

  • あの世というのは普段信じない、というか自分はそんなとこに行く事はないだろうと思うが、近い人が亡くなると、どうかあの世でやすらかに過ごして欲しいと思う。矛盾してるけど。

  • じーちゃんが亡くなった時。あの人は眠るような大往生だった。

  • 本当に心の底かはわかんないけど、その時はそう思った

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  • 心なんて、持ち合わせておりませんので…

  • 死んだ人間に対して抱いた、何か深い感情の動きということなら、その人の人生を包括的に肯定できた時が、おそらく最も。冥福を祈るという気持ちではなかったな。

  • 死んだら終わり。生きているうちに何もしてあげられなかったなあと思うだけ。

  • そもそも何も祈らぬおれが○のわけがない。ただそれは、死が現生を苦界に見立てた場合の救い程度には相当するであろうことを疑わないからでもある。

  • 残念ながら一度もない。死後の世界での幸福とか意味不明にもほどがある。/しぐなれす様、副アカで復活……ですか?なんか文体替わりましたね。

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