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愛に飢えるだけでなく,孤独に飢えることも

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コメント一覧

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  • 居心地良さそうな場所を見つけても大抵は先客がいる

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  • 孤独で常に腹一杯だ。苦しくて吐きたくても許される場所すらない。

  • 人とずっと一緒だと自分で考える時間がなくなって、一人で過ごすことに飢えるのはあるけれど、孤独に飢えることはない。「私」というのは孤独によってではなく、他者との対比によって形成されるものだと思う

  • 孤独は状態。愛に囲まれていては孤独にはならない。愛に飢えているならば、それは愛を渇望しているからで、抽象的な愛の度合いによるが、孤独という状態からはかけ離れている。孤独なる状態は全ての関係性を絶つことから始まる。話したり社会活動するときに、相手がいない状態を限界集落で営む。自らその場所での生活を望んだわけでないにも関わらず。

  • 「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように。」なんていいますな。もちろん前提は良き伴侶を得られないときです。いい人間関係の中で切磋琢磨したいものです。

  • 他人よって決定された自己でしかないなら、仮に孤独に身を置いても何一つ自分を見出せないよ。あと、孤独と1人の時間・空間が同意と思うなら、孤独の辛さを知らない。

  • 「私」を失わないために、孤独になる以外に方法はないのか、と考えればそれは違うと思う。孤独以外に「私」でいられる場所、そこには愛がある

  • 孤独飢餓論について拝見しましたが、人間が陥りやすい心理状態を的確に表現していると思います。でも孤独と自由を区別していない点で矛盾を感じます。孤独に飢えるのではなく自由に飢え、逃げの気持ちから一人になる自由を得れば孤独がついてくるのだと思います。あまり周囲の評価を気にして一人になる自由を求めたら結局は自分で別の自由を潰して、孤独に追いやるはめになるということだと解釈したいです。結局は、それなりのアイデンティティーや自信が必要だと解釈したい。ただアイデンティティーの構築には一人の時間が必要なことも確か。

  • 俺は今孤独を有り余るほど持ってるんだが残念ながら孤独を渇望する○の人たちに分けてやることはできぬ。孤独を共有したら孤独でなくなってしまうからね。

  • 独りになりたきゃ走ればいい。自分の体と直対してるときは他人の視線なんか関係なくなる。

  • 「私」は「皆」に本物の自分が暴かれるのを恐れ,自分を騙し,「皆」が思う「私」を演じ続ける必要はない?そうすれば次第に「私」は希薄になり,「皆」が思う「私」が,「私」の全てを埋め尽くすということもなく、そして「私」は「私」から永久に失われてしまうということも起こらない?

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