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人は幾ら正論でも、批判、否定する、つまり「嫌う」事に好意を持ち難い。

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コメント一覧

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  • だから政治や社会思想の話題が苦手なのかも。必然的に議論が展開されるので批判や否定も当然のように飛び交う。そういうの見てると負の感情が流れ込んでくるような感覚がするので本能的に閉ざしたくなるし遠ざけてしまう。✕側のKさんさんと意見と似てます

  • 非理論派はそうだろうね。アタマじゃなくて気持が納得しないというか。俺がそう。

  • 確かに自分が好きなものを嫌う人に出会ったらちょっとムッとする。

  • ああ・・・そうだよね…。でも私はやっぱり、何かを嫌いでいるよりも、何かをスキでいたい。

  • 尤もです。しかし、僕の中の最大目標のひとつである「すべてを抱擁する人間に。」へ到達するには、必ず乗り越えなければならない壁なのだと思います。

  • 自分が嫌われている状況を好きになるというのは受け入れがたい。嫌う嫌われる対象が人であれ思考であれ、私には無理かな。

  • 端的に云うと「お前が言うな」になるのでしょうか。

  • 何を言ってるのか理解するのに少し時間がかかりました。。正論が嫌われる傾向にあるというのがメインな論点であると好意的に解釈するなら、そもそもその「正論」のあり方が問われてくるだろうから非常にやっかいです。で、すぐに思いつくのは、だからこそ現象学的アプローチが重宝されるんだろうなってことです。

  • コトノハやってるとそんな気がしてくる

  • ボクにとっては正論かどうかも好き嫌いも些細な問題。嫌うことに好意を持ち難いのは、その根拠に共感できないことが多いから

  • 自他問わず、その方が何だか目に留まりやすいと思っている。例えばファンの目線から見たアンチと、アンチの目線から見たファンがただの対称とは思えない。こういうのって過激になったらぶっちゃけどっちも大概なのだが、Expさんの言うアンチ側の方向性がこの境地に突っ込みがちなのかなぁ。

  • だからこそ好意や嫌悪感を克服できるだけの意志力が必要となる

  • 批判、否定となると、攻撃的なイメージになるから。考えを変えることで得られるメリットを話せば、納得してもらえるかも。感情的になってたら、だめかもしれないけど。

  • 私は嫌韓やアンチ等を見て、苛立ちも納得もある。でも他の場所じゃ「アンチ・嫌韓厨は屑」「嫌いより好きで自分を語れ」との事。コトノハもそんなコトでは×が多い気がする。人は「嫌う」との行為を拒絶するのでしょうか・・・?違う人は×にして欲しいです。/cosmio-fankさん そういう意味ではなく「幾ら正論~」の所は例示で、これは「人は嫌うと言う行為を好かない」と言う意味です。

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  • 表面的な人間関係ばかりに気を遣う世相は嫌いだ。口当たりの良さだけで満足か?

  • 嫌いなもんを嫌うのって楽しい時もあるよ

  • まさに不毛な近親憎悪。「嫌うこと」は攻撃対象に使われやすい、なら○にした。云わば弱点の開示のようなものだからな。

  • 「嫌う」という行為に好意をもち難いのは、その行為が感情的であり、自分の存在を脅かすからだと思う。ちなみに必ずしも批判、否定という行為が「嫌う」を伴うとは限らない。例えばある理論を批判するとき、感情なしでもそれは可能。ということで×にしておく。

  • 「人は嫌うと言う行為を好かない」のに批判、否定するって?

  • アッサム・ティーください

  • お気持ち凄くわかります。正論な筈なのにそれが否定的な内容だったりすると、周りに否定の否定をする団結力が生まれてきて妙な叩きに合う気がする。ワタシは主を応援します。

  • 一概には云えないでしょうね。俺は中傷とか嘘流布には半端無くイラッ☆と来ますが、好き嫌いには特に何とも。

  • 人はどうだか知らない

  • 「自分や自分の好きな物を」が抜けているんじゃないでしょうか

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