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一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字に過ぎない

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コメント一覧

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  • 数百万の死を同等の感受性で個別に悲しむのは許容量的に困難だ。ひとつひとつの内容は紛うことなき悲劇なのだろうけど。その数百万の死を個別に悲しむ数百万、数千万の人間がいるであろうという認識を得るのが精一杯。

  • 海の向こうの大虐殺より今朝のオデキって感じはある。

  • 1人の死も数百万の死も「悲劇」と観る者も居れば、1人の死も数百万の死も「日常の他愛無い1コマ」と捉える者も居る。月並みだけど、環境次第。

  • だから安易に戦争で解決しようなんて発想がまかり通るのです。

  • 認識の仕方の問題。そりゃ、悲劇であることに違いはないし、んなこたサルでもわかるってば。

  • そうだよね。 それが当たり前になってるから何も変わらないのかもね。

  • マリリンマンソンが歌詞に使ってたな。おかしい考え方だがコレがしっくりはまってしまうのが現実の社会だよな

  • 本当にそう思う時があります。その一人一人に、それぞれのドラマや想いがあるはずなのに…。悲劇として取り扱われる死を遂げた人はある意味幸福でしょう。でも…統計上の一つとしての死を遂げた人はかなり可哀想にも思えてきます。そのドラマも想いも、見過ごされてしまうから。

  • スターリンって地味に名言多い。「死が全てを解決~」ってやつのほうが好きだが

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  • だれかが、三万人自殺したんじゃなくて、ひとりが自殺したのが三万件あるんだって言ってたな。たしかビートたけし。

  • それは数の問題ではなく視点の問題ではないか

  • 1人でも数百万人でもそれぞれ遺された人の悲しみはある。流石ナチスだ。こんな台詞。

  • わからんでもないけど、一人の人間の死が悲劇なら数百万の人間の死は大悲劇。

  • 何となくわかるけど、こんなことを考えるようにはなりたくない。

  • ストーリーが伴わなきゃ一人でも別に悲劇に感じないだろ。逆に適当な物語とともに流布してしまえば数百万の死を惨事凶事として印象付けることもそう難しくなさそう

  • 誰だっけ、ヒトラーの側近とかだった気がする

  • これに納得しちゃいけない気がする。

  • 実際に見ればぞっとするよゲームでもFPSで死体がゴロゴロしてるとこ歩いたりするといがいとじっかんできたりしちゃったりしなかったり

  • 数百万の人間の死は数百万の悲劇から成っている。1×1000000=1000000ってことだ

  • その死に関わってなければそう思ってしまうこともあるんでしょうけど

  • でもさあ結果的に戦争に勝ったけどスターリンは無駄に戦死者増やしたんだからよく言うような、と思う。それにそれだけ死者を出す事による影響って想像出来ないのだろうか。

  • 数字しか見てないから・・?一人の人間の死なんて数字上では誤差の?・・・

  • スターリン時代なら本当にそう思われてたんだろうが、911のNEWS観てもわかる通り、一個人からしたら当然のごとく悲劇である

  • ウサギ並みの数量認識。アホくさ。

  • それは数字の見かたが違うだけだ。

  • これは納得いかない。これを納得してはいけない。

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