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そいつの脳で考えられること全てが、そいつの現実だ。だから現実は人によって違う。

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コメント一覧

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  • カール・ポパーが世界を三つに分けた話を思い出した。事物の世界(普通に外界と呼ばれる世界)、意識というはたらきの世界、表現の世界。このコトの後半で言っているのは多分意識の世界のこと。意識のはたらきは人それぞれ違っているし、それがどう違っておりどう同じであるか、結局は確認のしようがない。例えば誰かの見る赤と私の見る赤とが、同じ見え方をしている保証はない。そこでは「赤」は意識の世界に属している。しかしそこに表現されている「赤」が美しいとか、場違いだとかは論ずることはできる。それは表現の世界に属する話だから。

  • 物理学の不確定性あるいはゲーデルの数学レベルで考えると・・

  • 現在は認識と常に時間差がある。現実は時系列上の点では無く、立体的に変化し積み重なって形成されているものだと考える。絶対的事実に基く現実にすら差があって当然。

  • いいか、これは、この世界でいちばんいい銃だ! いちばんすぐれた小銃なんだ!! おれには、これしかないんだ! だから、これがいちばんいいんだ!!

  • 現実は人によって違うってのは分かる。

  • だから人生は楽しい

  • 普遍的な「現実」があったとしても,それが「そいつの現実」であるとは限らない

  • その人の世界こそが、その人の現実って事かな?

  • そうゆう意味で自分以外は全て他人

  • 残念ながら共有はできない

  • うん。私の世界、あなたの世界、人の世界、クジラの世界。犬の世界、石塊からの世界、でも全ては私のシミュレーション。

  • でも他の現実を受け入れる容量もないの

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  • 考えられることは考えられることでしかない。それを言うならせめて、そいつが知覚していること全てがそいつにとっての現実だ、ではないのか。認識は人によって違うから思想も人によって違うというのは分かる。

  • 「現実」が人によって違うのは、視点がそれぞれ異なるから。それに現実のすべてを自分の脳で考えられるわけじゃない

  • 全て?現実逃避の妄想も現実というのは矛盾では。クリスたんさんのコメントで充分納得できる。

  • 脳で考えてることが現実だったら、大変なことになってる

  • う~ん、、どうなんだろう、でも何か心に留まった文だ

  • 現実は現実としてゆるぎない。個人の脳みそなんかちっぽけな物。

  • 何事も多角的多面的。それでも最大公約数的な物の見方はあり得ます。

  • 考えられることの全てが現実だとは本人でさえ考えていないはず。しかし認識される現実は全て過去であり、過去は人の解釈に依存するという意味でなら後半についてはそう言えるかもしれない。

  • 現実は多分一つ。ただ人の脳によって世界の見え方とか捉え方が違うのは同意。同じ世界に存在しているのに、人によって世界の形が全く違って見えたりしたら面白そうだけど。違うパラレルな次元にいる人がいて、波長が合った時に出会ったりとかね。

  • 「自分が今日死ぬかも」ということを考えられない人なら不慮の事故で死ぬことがないとでも言うのか。「死」は主観より根源的で、普遍的現実と言ってもいいだろう。

  • 見ているものは同じ・・感じ方は人によって違う・・・?

  • 見ている方向が違うだけだ。事象はただそこに漫然と存在している。

  • 例えば「昨日人類は滅びた」と考えた人がいたとして、それが現実ではないのは明らか。

  • だとしてもそれらには歴然たる共通点がある。客観より間主観性と言いたいが、にしてもこれは事実と呼んでいいのでは。

  • 現実と云う言葉の幅が広い。

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