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批判とは、それをする者の価値尺度の提示である。

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コメント一覧

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  • なんか納得したから○にするわ

  • そうかもねー。 批判することはあまりないけど。

  • 半分くらい○で。

  • 価値尺度が小さい人は自分が批判していることにすら気がつかないってことか・・・○にしておこう。

  • 同時に、「意見」と捉えるか「批判」と捉えるかによって、「される者」の価値尺度の提示でもある。結局のところ、そういうことだ。

  • 例えば、ペンギンに「短足」と批判したら誰でもナンセンスと理解できる。 しかし、相手が人間だとそのようなミスに気付きにくい。 もちろん、相手と価値観が一致してる場合は、批判として成立する。

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  • される者の持つ価値の誤謬を問い詰め、その誤謬を招いた当人の無能を責め、無能な者が存在する合理的根拠がないとして存在意義を否定することである。

  • 関係ない話だけど、感情的な批判って苦手なんだよなぁ。しかも、内容も見ずに一方的に決め付ける類とか、もうダメ。感情だけでバーッって来られると、すごく引いてしまう。

  • 批評で食べるためには人の納得を得られることが優先されそう

  • 批判される人が価値尺度を誇張して提示するからだろう

  • ↓なるほど、批判欲を満たすための批判ということはよくありますね。

  • 批判すること自体が目的で、そのためにわざわざ価値尺度を作る、という例もよく見かける

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