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哲学は、日常的で実践的であるほうがいい→○ 理論的で学問的であるほうがいい→×

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コメント一覧

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  • 確かに哲学というと理論重視で理屈っぽく聞こえがちだけど、アリストテレスの哲学が、日常と切り離されたところから産まれたとは思えない。しかし、日常的=考察が浅くて普遍性が無くてもいい、という事ではないと思う。

  • 国語辞典では両方紹介されていますね。×に関しては門外漢なので。

  • あまり追求すると科学との境界が曖昧になりそうですが。

  • 見過ごされる旧事実に着目

  • 日常の中で気が付く事もあると思う。

  • アタシの日常にも役立ってくれると便利かも。

  • 日常てな経験だろ。経験に優ものなし。足をひっぱるのも経験だけど。

  • 「全ての答えが出た。どう生きるべきかということを除いて。」ジャン=ポール・サルトル。

  • 象牙の塔の理屈に興味はない

  • 実践の積み重ねが理論に繋がる。哲学も然り

  • 実質的には、両方の視点でバランスがとれることが必要かなって思う。

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  • 実践哲学なんて使い捨てだろ

  • ×から○にいけりゃ儲けもん。哲学書を読んでて実生活に役立てようと意気込み始めると途端に消沈してしまう。役立つ時は勝手に役立つから。

  • こちらのイメージを持っている

  • こういう雰囲気が好き

  • ×はたんなる前提で○を兼ねることには意義がある、という話だろう。

  • 形而上学にときめくのでこっち。とはいえ僕は個人主義的アナーキストという立場を明確にしているので日常とりたててなにもしなくても常に実践していると言えるかもだけど、そんな自分を否定するわけではない。つかこのコトにおける学問と対比される日常の哲学って、しょうもない浅薄な発想なんかを哲学って言葉で飾って偉そうにしてるだけなイメージ

  • 原点は日常から生まれたものだろうけどね…"学"なんて言ってるんだから哲学は学問なんだろう(突き詰めてる)。日常で使う(使える)ものはもっと噛み砕いたものなんじゃないかな。

  • 「役に立つもんじゃないんだよ哲学なんてのは」

  • 哲学は哲学は ってさあ、でっかい風呂敷代わりにされるとなんだかなあ

  • 理論的なところを研いでおかないと長い目で見て日常的なところで負ける。自分が信じ選んだものが無くなるのは辛いことだ

  • 両立するよ。不毛な二分法だな。

  • では、この問いはどちらに属する問題なのでしょう。

  • 哲学という言葉には○の意味(例:人生哲学)と×の意味両方あるのですが、理論的にしっかりと組み立てられた上で、日常的な哲学を作り上げる方が良いと思うので×

  • もう、はっきり言っちゃうけど、プラトンだけでいいだろ?

  • 学問的というと文献学なんかを思い浮かべるけど実践の為には欠かせない。文献との対話無くしての実践には限界があるので。日常的は出発点に過ぎない。でもって理論的な考察は既に実践であると思う。とか考えて後者。

  • Philosophy という語の意味を考えれば。中には「疑問を持つ」ことを日常的に実践してる人もいるけど、大多数はそうじゃないだろ。

  • 「いい」をpleasantと捉えるなら、認識論が好きだな goodならば観点によるし、一概には言えないと//↓「哲学」はもっと広義に考えるべきじゃないかな//←象牙の塔は極論じゃないかな、学問的且つ実践的なものもあるのでは、論理学のような

  • 実践的なのは、哲学というより思想だからね。 もっとも、成功哲学のような分野もありますけど。/↑だから広義でも考えてるだろ? 2文目を理解してないのか? だいたい定義に、べき論を持ち込むなよ。

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